愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
第15回ディベート甲子園の感想(2:中学の部について)
大会が終わって暇なので、引き続いて中学の部の感想を書いていくことにします。
このブログの特徴は基本的には遠慮せず私見を述べていくということにありますので、多少辛口なコメントになっているかもしれませんが、基本的には取り上げている時点でそれだけの価値を認めているということですので、ご理解いただけましたら幸いです。


1.中学決勝の感想
今年の中学決勝は肯定側が創価中学校、否定側が岡山白陵中学校の対戦でした。結果は2-3で否定側が勝利ということになっています。
僕が試合を見た直後には、割れるだろうけど肯定側への投票が多いのではないかと思っていたので、個人的な予想は外れました。以下では、僕がこのように予想した理由と、それが外れてしまった理由の2点を中心として、半分は選手向けの、もう半分は自己反省としての感想を書くことにします。

(1) 決勝戦の見所と主な改善点
この決勝戦の見所は、2つの異なるタイプのディベートがぶつかっていた点にあると感じました。
肯定側の創価中学校は、おなじみ「全員ディベート」がスローガンで、組織的な準備を基礎として非常にシステマチックで洗練されたスピーチを展開するチームです。僕は準決勝の南山中女子部vs創価中の試合も見ていたのですが、その試合での創価中は第二反駁まで一貫して準備された議論を展開し、(南山も頑張ったのでかなりの接戦でしたが)その長所を存分に発揮していました。決勝戦の肯定側立論も、各論点をバランスよく証明できていたこともさることながら、スピーチの質もとても高いものでした。その他のパートもそうですが、相当の練習を積まなければ、あれだけ聴き取りやすいスピーチをすることはできません。
一方、否定側の岡山白陵中学校は、組織力で勝る相手に対して、個々の選手がみんなでアイデアを出し合って協力して試合に臨むという強みがあったのではないかと感じました。もちろん創価中でも全員がしっかり考えてはいるのでしょうが、パートを超えてみんなで議論を考えるという意識は、岡山白陵の方が強かったのではないでしょうか。これは、準備時間に岡山白陵中学校のチームが全員で一斉に相談していた姿から伺えることです。

このような2チームがぶつかり合った決勝戦ですが、おそらく少なくない観客がそう感じたように、反駁以降の展開は必ずしも両チームのベストを尽くした展開にはなっていませんでした。それは、決勝の舞台という極度の緊張状態からすれば当たり前のことですから、仕方のないことです。準決勝の創価中の反駁展開は素晴らしいものだったし、その裏で行われていた岡山白陵中vs東海中の試合での肯定側のパフォーマンス(この試合は見ていませんが、聞いた限りでは岡山白陵中の肯定側立論はとても質が高いし、準決勝ではデメリットに的を絞った反駁を行っていてかなり効果的だったようです)を考えると、これらが決勝でも発揮されていれば…という気持ちもありますが、それは無理な要求だというものかもしれません。

具体的に両チームの反駁以降の展開で改善の余地があった点を述べておきましょう。
肯定側については、第一反駁の最後の方が尻切れになったとかいう緊張によるであろう点はともかく、全体として相手の議論に合わせて有効な議論を選べていないという問題を感じました。特にデメリットへの返しについて、彼らの大きな返しは①既に競争でペットショップは淘汰されているから固有性はない、②ドイツではペット売買を禁止したがペット産業は十分大きい、という2つでしたが、①についてはこれだけで固有性が切れるというのはそもそも無理があるし(ペットショップが全部潰れるなんて常識的に考え難いし、エビデンスもそんなことは言っていない)、②についてもドイツの例は売買禁止による影響が小さいというものではなく、単にドイツのペット産業が大きいと言っているだけでした。
デメリットをゼロにする攻撃はこの論題だと難しいので、肯定側としては、プラン後もペット譲渡が残るからペットは減らないという議論(これは準決勝で南山女子がメリットの解決性の事例を引っ張りつつやっていたもので、同じような解決性を論じていた創価中は当然採用を検討すべきだった)などの現実的な反論を試みるべきでした。また、①のような固有性への反論についても、「良心的な個人事業者は脆弱ゆえに潰れる」という分析の入ったデメリットに対してであれば説明次第で有効だったかもしれませんが、決勝の否定側立論はそのような構成ではありませんでした。相手の議論を見て反論を考えよう、ということです。

否定側については、第一反駁での攻撃の厚みがもう少しほしかったということがあります。肯定側立論の論証が厚いので大変だということはありますが、議論自体はよくあるものばかりでしたので、もっと手数を準備することはできたはずです。
特に、立論をこれだけしっかり作れる否定側であれば、反駁全体でストーリーを作り出すという工夫を凝らすように期待することも許されるように思います。この点は創価中学校が準決勝で健闘していたところでもありますが、健全な業者もいるということや、飼い主の意識が変わってきており殺処分が減ってきていること、そして消費者の意識が業者のあり方に影響を与えていることなどの議論を連関させることで、現在ペットに対する扱いが向上しており、今後は問題が解決していくのだという流れを説得的に印象付ける反論を構築してほしかったところです。

(2) 否定側が勝利した理由―準備方法を含めた戦略的観点から
このように、肯定側は相手の議論にあった有効な攻撃ができず、否定側は攻撃の厚みが一歩不足していたというところで、双方決め手を欠くままに試合が終了しました。そして結果は2-3で否定側になったのですが、その理由はなんでしょうか。思うにこれは、否定側が第二反駁でデメリットの話に話を絞った思い切りのよさが功を奏したのでしょう。
これは準決勝でもそうだったと聞くのですが、否定側は今回の試合で、自分たちが上回る可能性のある部分(デメリット)に第二反駁の説明を集中させていたように感じました。それは、メリットを大きく減じる道がほとんど見込めない状況においては正解でした(もう少しメリットについて言及しても良いとは思いましたが)。それに対して、肯定側は反駁の基本的なパターンを崩さず、議論の再説明などをメリット・デメリット両方についてまんべんなくこなしていましたが、その分訴求力のないスピーチになっていました。肯定側第二反駁があの試合で説明すべきだったことは、現状の問題についてペット売買のせいである程度の数のペットがひどい扱いを受けているということをきちんと強調した上で、それを重要性の議論に乗せてペットの保護を訴えることでした。これは、平板に全体をさらうスピーチではなく、相応の時間を割いてジャッジに印象付ける形で行われなければ効果を発揮しません。

この差が生まれた原因は、先に見た両チームの特徴の違いから説明できるようにも思います。創価中はその伝統と組織力から、システマチックなディベートの形を高いレベルで完成させつつありますが、そのレベルは様々な相手に対応して臨機応変に議論を組み替えるところまでに至れていなかった…という評価が、少なくとも決勝を見る限りでは可能です。これを乗り換えるためには、よりシステムを洗練させるという努力の方向だけでなく、どこかで「マニュアルを外れる」ことを意識することがあってもよいのかもしれません。第二反駁でバランスよくスピーチする基本から外れて一点に絞ったスピーチをするという否定側の選択は、その一例です。
これは、マニュアルから外れることで、さらに高度なマニュアルを手に入れるということでもあります。ディベートの試合も現実の議論も、常に「きれいな議論」が説得的だというわけではなく、時には型を外れた説得方法が有効である場合があります。そのような場合をも分析して類型化できれば、より臨機応変なマニュアルを作ることが可能です。もっとも、そのレベルまで達したマニュアルは、もはやテキストなどで一律に身につけられる次元を超えて、それぞれの選手が経験を積んで体得すべき内容といえます。全員ディベートの組織力がこの課題に対してどのような取り組みを見せるのかが、来年以降のディベート甲子園の見所になるかもしれません。
一方で、「マニュアルから外れる」議論をうまく展開できた岡山白陵中については、創価中が試みているようなシステマチックな議論展開を参考にしてさらに飛躍するという課題があります。個々でされている良い議論を、他の議論と組み合わせることでさらに説得力を高めるというのが、高いレベルのディベートです。それがある程度のレベルで(全てではないでしょうが)即興的にできていたのが優勝の一つの要因ではあるのでしょうが、特に反駁について、より計算された議論構築が実現されれば、また違った次元のディベートができることでしょう。

もちろんこれらの課題は、中学・高校問わず他のチームにも言えることです。議論のシステムをより洗練させるということと、臨機応変に対応できるよう基本の型を崩していく力を養うということは、いずれも高いレベルのディベートをするために必要な課題です。
そして、よくよく考えると、この2つの課題はいずれも「自分たちが本当に言いたい/言うべきことを考え抜く」という、ディベートの基本的な課題に帰着されるものです。この課題を解くためには一定の型(戦略のパターンなど)が必要だけど、型にこだわりすぎると最初の課題が見えなくなってしまう…というのが、ディベートに習熟していく過程での一つの悩みです。この悩ましい問題が浮かび上がったのが今年の中学決勝だったということができますが、このような悩みが見えるのも、両チームがしっかり論題に向き合って準備を重ねたからこそです。改めて両チームの健闘を称えたいと思います。

(3) 価値観の相違を乗り越えて説得するために
さて、ここまでは「なぜ判定が割れたか」ということについて、両チームの(想像される)取り組み方の違いから説明を試みたわけですが、ここからは「僕の予想が外れた理由」という、ある意味どうでもいいことをネタとして、万人を説得することの難しさについて少し書いておくことにします。

今振り返ってみれば、僕の今季論題での議論感覚として、失業の議論についてのインパクトを人より軽めに考えていたところがあるように思います。その理由についてはいろいろあるわけですが、大きな理由としては、失業という事実自体はあらゆる経済立法に伴いうるものであって、その意味を具体的な文脈で論じない限りは論題との関係で「深刻」とはいい難いのではないかという感覚があったからです(もちろん、失業の数などにもよりますが)。このような感覚については異論があるかもしれませんが、ともかくそのように考えていたというわけです。
実際に他のジャッジと話をしていると、どうも僕より失業のインパクトを大きく評価する人が多いような感を受けました。別に僕が人間嫌いだとか、ペット大好きというわけではないのですが(僕はペットを飼おうとは全く思いません…)、動物がひどい目にあっているのに比べて失業問題が直ちに深刻だというのは説得的でないなぁというように考えていました。しかし、一般的には「まぁ失業で人が困る方がよくないだろう」という相場感があって、それなのに僕が少し肯定側に傾いた感覚を持っていたので、肯定側第二反駁が十分説明をしていなかったにもかかわらず、肯定側立論をある意味よく評価して「割れるだろうけど肯定側が勝つかなぁ」と感じたのでしょう。

これはどちらの感覚が正しいという問題ではなく(実際判定も割れているし)、より重要なことは、そうしたブレを乗り越えて安定的に投票してもらえるような方法を考えるということにあります。これはいわゆる「比較」の問題である以上に、立論段階でどのようなインパクトをつけていくかという、そもそもの重み付けの問題です。
ここで強調しておきたいのは、こうした「重み付け」は重要性や深刻性でどのような価値を論じるのかという点にとどまらず、現状の問題分析などをどうやって説明するかというところにもかかわってくるということです。例えば、殺処分のメリットで言えば、どれだけの数の動物が、どういった理由で殺されているのかという分析が、論題によって動物を救うべき必要性の説明に必要不可欠です。
このような説明を行うためには、立論の構成について考え直すことも必要です。現在のディベート甲子園では、プランを述べた上で、現状分析(内因性)→発生過程(解決性)→重要性、という順番でメリットが説明されますが、上述の通り重要性の議論は現状分析に当たる部分の説明と密接に関連します。そこで、説明順序としては、現状の問題の説明(内因性)→その問題の重要性→解決するためのプラン→解決性、という構成がより望ましいと考えられます。これは大学以降のディベートで一般的に採られている問題解決型のメリット構成ですが、よりストーリーとして自然な説明方法だと思いますので、一度チャレンジしてみてください。

こうした「型」の問題もありますが、それにしても議論の重みに対するジャッジの考え方は微妙に異なるもので、そのあたりをどう制御するかが課題になってきます。このような問題意識を持つには、ジャッジの考え方にはいろいろあるのだということをしっかり意識する必要があります。
今季に関して言うなら、僕は中学論題についてかかる多様性を十分認識できていなくて、そのために指導で不十分な点があったかもしれないと反省しているところです。


2.今季論題の私的解題
決勝戦の感想とそれにかこつけた考察が長くなってしまいました。ここからは、ペット売買禁止論題について、思うところを書いてみることにします。

(1) 今季論題のキモは何か
今季の中学論題は「日本はペットの売買を禁止すべきである。是か非か」というものでした。この論題は、メリット・デメリットの幅が例年より狭く、その分だけ限られた議論を工夫して相手を上回ることが要求されるものでした。きちんと発生するメリット・デメリットや個別に有効な反論を作るだけでなく、全体として相手を上回るストーリーを完成させることが、例年以上に求められたということです。

では、そこではどのようなストーリーが展開できたのでしょうか。その答えは、今季論題が「ペットの禁止」ではなく「ペットの売買の禁止」を求めていることから見つかります。すなわち、ペットを商品として売買することをどのように考えるかという点がポイントになってくるということです。

(2) 肯定側に期待された議論
上記のようなポイントから、今季論題で最も典型的な「動物の保護」系のメリットについて考えてみます。生態系がらみの議論については、以前に今季論題との関連性の薄さを指摘したので割愛します。

多くのメリットでは、現状の問題として、ブリーダーによる乱繁殖や流通過程(オークションなど)のペットロス、そして衝動買いを促すペットショップなどの事例が取り上げられていました。これらはいずれもショッキングなものであり、動物を保護すべきという一般的な観念からすれば、放置しがたいものといえます。
しかし、今季論題は「ペットの売買の禁止」という極めて厳しい政策を求めるものです。ここであげられた事例はとても衝撃的なものですが、そうであるからこそ、そのような「例外的」と思われる状況に対して、全てのペット売買を禁止するということがやりすぎではないかという疑問が生じてきます。

それにもかかわわず論題を正当化するためには、これらの問題がペットの売買という行為そのものから必然的に生じるのだということを論じる必要があります。そこでこれらの問題を見てみると、命あるペットを商品として扱うことで、効率的な商品生産のためにブリーダーが動物を酷使し、商品(モノ)として動物を扱うため余った「在庫」は捨てられてしまい、また収益をあげるためにペットを強引に売りつけるという、一連の流れが見えてきます。肯定側が論じるべきは、単なる個別のペット虐待事例ではなく、ペットを商品として扱うことによりどうしても生じる問題であったということです。
このことは、重要性を考える上でも大切な視点となってきます。商品を効率的に生産するということは、どのような産業でも当然に行われることであり、それ自体は(環境・労働問題などを除けば)合理的な経済活動として賞賛されるべきことです。しかし、ペット売買というビジネスで扱われる商品は、我々と同じ命を持ち、程度の差はあれ意識や知性を持った動物です。そのような動物を商品として扱うことを許容することは、命ある動物たちの犠牲の下に経済活動を成り立たせるという点で、他のビジネスと異なる側面があります。
もちろん、こうした側面は畜産などの方が強いわけですが、人間が生きるために「命を奪って食べ物にする」ことを自覚してされているビジネスと、ある種の嗜好品として動物そのものを売り物にしようとするペットビジネスでは、問題の所在が自然と異なります。動物を食べることは「原罪」として説明できるかもしれませんが、そのような必要性がない「ペット」を売り物にすることまでもが許されるのでしょうか。また、命そのものと異なる価値(可愛さなど)を売り物にしようとしているからこそ、そこから外れた「失敗作」が、生命としての側面を無視されて処分されてしまうことにつながるのだという考え方もできそうです。

肯定側は、このような問題意識を踏まえて、現状の問題を解決すべき理由を訴えることになります。この点、決勝戦の創価中学校の立論は、ある程度高いレベルでそうした議論を準備していたように思います。しかしながら、その後のスピーチでこうした考え方が一貫して語られていたかというと、そのようには言えませんでした。現状の問題がペットを商品として扱うことに起因していること、そのような動物の犠牲の下にペットと付き合う関係をなくすことが人間の責任であるということをしっかりと説明できていれば、決勝戦における肯定側の勝利は揺るがなかったはずです。

(3) 否定側のなしえた議論
以上のような議論に対して、否定側からの応答はどのようになるでしょうか。まず議論されるべきは、ビジネスに起因する現状の問題が解決されつつあるということです。そこでも、個別の改善例を並べるのではなく、そのような改善が見られる理由を示し、将来のあり方について説得的なビジョンを示すことが求められます。
肯定側は、ペットを商品として扱う以上、問題は避けられないという論陣を張ってくるでしょうから、否定側は真っ向からこれに対抗するために「命ある『商品』であることが意識されるからこそ、私たちはペットビジネスにおいて、他のビジネスと異なるあり方を構築することができる」といった議論を展開することが考えられます。すなわち、業者自身もペットに愛情を注いでいるという議論や、消費者である飼い主が「商品への愛情」を基準として業者(ペットショップ)を選び、業者も経済合理性(悪い噂を避けるべき…などの配慮)からそれに応えようとする、といった議論です。たとえ今はそうした意識が不十分でも、今は昔より意識が上がっているし、これからも解決されようとしている、といったビジョンが示されれば、肯定側の見方が現実の評価として行き過ぎているのではないかという疑問をジャッジに抱かせることが可能となります。

ただ、このような「改善の方向性」だけでは、ペットの保護が何よりも優先されるべきだという議論を完全に否定することはできません。これをフォローするためには、他の考え方を組み合わせる必要があります。
そのような議論を発案するためのアイディアは、やはり論題の規定の中にあります。論題では、ペットの飼育そのものは否定していない、すなわち「ペット」の存在自体は認められています。そこで、人間がペットを飼うことに対する肯定的評価を前提として、人間とペットの望ましい関係性を維持発展させる上でのペットビジネスの意義を同時に論じることで、ペットビジネスのあり方を改善させていくあり方が最善であるという主張を展開することが考えられるのです。
今年の決勝戦に進んだ二校は、いずれもこのようなアイデアを否定側立論に組み込んでいました。ただし、そこで着目されていた要素はそれぞれ異なるものでした。決勝戦の岡山白陵中の立論では、深刻性として「ペットが飼いにくくなるので人間の癒しがなくなる」という議論があげられていました(もっと質の良い資料を入れられるとよりよかったとは思います)。一方、準決勝で創価中が出していたデメリットの中では、「ペットビジネスがペット向けサービスを向上させており、ペットの幸せにつながっている」という議論が組み込まれていました(ただ、それが「ペットフード」という、エグい殺処分に比べてしょぼい例でしかなかった点に改良の余地があります)。戦略的には後者のほうが肯定側の重要性とかみ合う気もしますが、ペットの本来の社会的役割という面からは、前者の視点もありでしょう。
このように、ペットビジネスという存在が、歴史的に形成されてきた人間と動物の関係、すなわち「ペット」という文化に寄与しているという主張がされることではじめて、ペットビジネスの本質的害悪を強調する肯定側と対等に戦うことが可能になると考えられます。これは、主にデメリットという形で展開されることになります(ターンアラウンドとして、ペットが減ると動物愛護の意識が減って逆に動物が虐待されるといった議論もありえます)。

別の切り口として、ペット売買の「全部」を禁止するという政策の極端さに着目して、問題を論じることも可能です。これは、よく見られる失業の議論の延長線上に展開されるものです。単なる失業の問題であれば、肯定側が「ペットビジネスそのものに問題がある以上は仕方ない」と主張することに対して持ちこたえることは難しいです(業種の規制自体はよくあることです)。そこで否定側としては、全てを規制すべき理由があるのかという議論を持ち出す必要があります。
これは、憲法問題で言うところの「職業選択の自由に対する消極目的規制の是非」という問題です。意味不明な言葉なので説明すると、憲法22条1項では職業選択(とその遂行)の自由が保障されており、これを第三者への害悪を防ぐという理由(消極目的)で規制する場合には、その規制目的を達成するための必要最小限度の手段でなければならないという考え方があります。このような配慮が求められるのは、職業選択というのは経済的問題(飯が食えるかどうか)にとどまらず、その人がどうやって生きていくかという人生観、人格に関係する問題であり、強く保護されるべき側面があるからです。
このような視点にのっとって考えると、ブリーダーやペットショップの経営者の中にはペットを愛するがゆえに借金してペットショップを開業した人や、ペットを売ることで飼い主やペットを幸せにすることを生き甲斐にしている人がいるだろうということを前提として、そのような人々の幸せを「売買の全部禁止」という形で制限する理由があるか、全部禁止しなければ動物は保護されないのか…といった議論を展開することになりそうです。このような視点から、全部禁止しなくても現状の問題は解決されつつあり、問題のある業者も一部であってほかの善良な業者が規制されるいわれはないといった反論を行うことで、論題を否定することが可能となります。

中学の部はフォーマットが短いこともあり、以上のアプローチの全てではなく、そのうちいくつかを選択して論じることになります。しかし、いずれのアプローチにせよ、それを一貫させて論じれば、肯定側に対抗する価値観やペットビジネスに対する評価を押し出すことは十分に可能です。立論と第一反駁を一体のものとして、こうした否定側の立場を鮮明に打ち出すことが、今季論題の下で否定側に求められたものだと考えられます。


3.中学論題を通じて考えてほしいこと
以上は、今季論題で展開できた議論についての一つの例です。引き続いて、このような議論が可能であった今季論題を通じて、中学生選手の皆さまにどういうことを考えてほしいかということについて書いておくことにします。

僕は論題検討の過程に立ち会っていないので分かりませんが、例年の中学論題を見ると、そこには「自分なりの理想を持って、将来の社会のあり方について考えてほしい」という一貫したメッセージが込められているように思います。
高校論題では、どちらかというと現在問題となっている(なりつつある)、社会的にも大きな問題が取り上げられる傾向があります。身も蓋も無い言い方をすれば「ディベートの典型論題である」ということなのですが、そこには「社会問題についての意思決定能力を養い、社会の一員として問題に立ち向かう力を身につけてほしい」という実践的な意図が込められています。これに対して中学論題では、どちらかというと社会の根幹につながるような問題ではなく、また若干非現実的な要素はあるが、既存の価値観にチャレンジするような「夢のある」論題が選ばれているように思われます。そこでは、政策領域についての分析能力もさることながら、そもそもどのような社会が理想なのかという価値観をしっかり持つことが強く求められます。

今季論題でも、中学生の皆さんは、当たり前の存在だと考えてきたペットについて考え直すことで、動物を売り物にするということの意味や、ペットを保護すべき理由、また動物と人間の関係性について、いろいろなことを考えたはずです。そこから皆さんは、ペットの扱いについて私たち人間はどのような姿勢を取るべきなのかという「理想」を考え、「現実」とつき合わせながら洗練させていくという作業に(無意識のうちであれ)取り組んできました。そのような経験を経た皆さんは、今季論題の下でディベートをする前より、政策の中に込められる「理想」や「価値観」について、敏感に感じ取る力をつけることができたはずです。
これから社会に出るうえで、そのような力は、明るい未来を見つけるためにきっと役立つことでしょう。また、高校でもディベートを続ける選手にとっては、より緻密な分析とバランス感覚が要求される高校論題に取り組む基礎となります。

せっかくそのような機会を得ることができたのですから、大会の疲れが取れて余裕ができたら、論題をめぐる「価値観」に着目して、議論を振り返ってみてください。今シーズンが始まる前と比べて、ペットに対する自分の見方がどう変わったか、ペットと人間の関係について私たちはどう考えていくべきなのか、自分たちの作ってきた議論や試合で対戦した相手の議論を思い出しながら見つめなおしてみると、自分たちがどれだけ多くの「気づき」を得られたのか実感できることでしょう。


以上が中学の部についての感想です。次回は高校の部について同様のテンションで書いていければと思っています。
コメント
この記事へのコメント
はじめまして。

>ターンアラウンドとして、ペットが減ると動物愛護の意識が減って逆に動物が虐待されるといった議論もありえます
肯定側も動物の命の重さを認めている以上、この議論を構築できれば、それなりに重い反駁になりそうですね。


今回は中学論題にもかかわらず、最終的な比較が勝負の分かれ目となりそうな難しい論題に感じました。肯否どちらともが、自らのシナリオに相手の議論を組み込んでいく闘いをしなければならないという、ある意味でかなりディベートらしい試合が展開される論題だったと思います。そういう意味では、もう少し比較に力を入れることができたらいいのかもしれないと思いました。

勝手な事を書き残して帰りますが、許してください。
2010/08/13 (金) 01:12:35 | URL | 早口大歓迎 #-[ 編集]
感想ありがとうございます
>早口大歓迎さま
どうもはじめまして。
コメントありがとうございます。感想をいただけてうれしく思っております。

動物愛護精神に関するターンアラウンドは、そのものずばりを言っているようなエビデンスはなかなか見つからないでしょうから、デメリットでペットの教育的側面などを議論しつつ展開していくのが無難かもしれませんね。
この点は、本文で述べた「人間がペットを飼うことに対する肯定的評価」をどうやって議論に組み込むかという問題になってくるのだと思います。

今季中学論題はメリット・デメリットともに、発生を完全に否定することが難しいこともあり、相手をどうやって上回っていくかを工夫することが強く求められていたように思います。
そこでは、第二反駁で「比較」するのだという考え方だけでなく、立論や第一反駁の時点からどういったストーリーを作っていくかということが試されます。それはまさに、「自らのシナリオに相手の議論を組み込んでいく闘い」と表現すべきものです。

選手のスピーチのレベルはかなり向上しているので、次回大会では、上記のような戦略的側面でのさらなるレベルアップを期待したいところですね。
2010/08/14 (土) 02:30:12 | URL | 愚留米@管理人 #tX1BiP8k[ 編集]
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