愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
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第20回ディベート甲子園高校決勝の検討
気が付いたら秋となり、ディベートシーンもヘイトスピーチに移り変わっております。ヘイトスピーチ論題の議論について思うところを書いてもよかったのですが、今回は、既に簡単に取り上げた今年のディベート甲子園高校決勝をもう少し詳細に振り返ろうと思います。というのは、少し前になりますが、高校決勝の映像を元にジャッジと振り返り検討を行う機会があり、そこで改めて決勝のスピーチを聞いて思うところがあったため、それを書き残しておくことに意味があるのではないかと考えるためです。

最初に結論を述べておくと、(いつもながらのテンションで恐縮ですが)今年の高校決勝は、少なくとも筆者の判断としては、肯定側の圧勝と言わざるを得ません。筆者は、否定側第一反駁が終わった段階で、肯定側に投票すべき試合だと判断しています。しかしながら、同時に、この試合が2‐3で否定側の勝利に終わった理由も、理解できてしまっています。
この不思議な状況がなぜ生じたのかということをテーマとして、今年の決勝戦を詳細に振り返ろうと思います。

なお、上記のようなテーマからお察しいただけるとおり、以下の記載は、相当程度両チーム(特に否定側)に厳しいコメントを寄せております。しかしながら、このことは、両チームの努力や大会の結果を否定することを些かも意図しておりません。ただ、筆者としては、選手の皆様が全力で試合に臨まれたことへ敬意を表する意味と、今後のディベートがさらに質の高いものになることを祈念する意味で、あえて手心を加えず、率直な批評を行っているものであるということをご理解いただけますと幸いです。

それでは、以下、スピーチを順に振り返りつつ、コメントを加えていくことにします。なお、決勝の動画はこちらです。

肯定側立論
肯定側立論は、裁判員の負担解消を論じるメリット1と、公判の圧縮による拙速な審理の解消を論じるメリット2の2本立てとなっています。メリットの2本立ては保険的に出しているだけでは悪手となることが多いのですが、先の感想で書いた通り、今回の論題では、メリット1に対する反論をメリット2に活用するという筋が考えられます。負担解消のために拙速な審理をするという話ですので、構造的にそうなるのは当たり前と言えば当たり前です。しかしこの肯定側はそのような戦略的意義からメリット2本立てをしていたわけではなさそうであり、大変残念です。反駁分散のためにメリットを2本出すというのは基本的に強者の戦略ではなく、その意味で東海高校としては最初からよくない形でのスタートとなっています。
※もっとも、否定側第一反駁で逆用できるだけの内容の反論が出ていなかったので狙いが外れていただけかもしれません。

とはいえ、メリット1はそこそこよい資料で構成されていますし、メリット2も資料の質は総じて高いです。特に、少年の社会記録が抜粋だけになってしまったという話は、少年事件の理念からはかなりまずい問題であり、これはもっとプッシュしてもよかったでしょう。
他方、法律実務の観点から疑問があるのは、検察官はいくらでも捜査できるが弁護人は新事実がいきなりわかっても次の期日までに対応できない、という話です。公判前整理手続で検察官の証明予定事実が提出され(刑訴法316条の13第1項)、提出予定の証拠(刑訴法316条の14)やそれに関連する類型証拠(刑訴法316条の15)が開示されることを考えると、公判期日でいきなり新事実が出てくることはないでしょう(もしそのようなことになれば刑訴法316条の32第1項の「やむを得ない事由」があるので新たな証拠調べを請求できると思います。ただ、実際どの程度フレキシブルにできるのかはわかりませんが…)。このエビデンスは再任拒否された元判事の井上氏の資料ですが、裁判員裁判の経験はなさそうなので(民事で判決が短すぎて不評で再任されなかった人でして、まぁ、そういうことです)、肩書だけで信用してはいけないでしょう。
※原典を全く見ていないのでわかりませんが、中略が入っているので、もしかしてそれでおかしくなっている可能性もあります。

そういったところで、全国大会の裁判員裁判立論としては、良好ないし一応の水準のものが出てきた、といった感じです。

否定側質疑
ラベルの確認をしており、何も聞かないよりはよいのですが、本当は中身をきちんと聞いてほしかったところです。講評では肯定側質疑(後述のとおり割とよくできていた)に触れる行きがけの駄賃とばかりに言及して褒めていましたが、やるべきことは他にありました。否定側第一反駁では、公判前整理手続で十分やっているという話をするのですから、そのあたりについてなぜ突っ込まないのか、ということです。地区予選から数えて、何度もそういう試合をしていたはずなのですから、自分たちが出す反論の下準備になるところを詳しく聞かなくて何を聞くのか、ということです。
厳しいコメントになってしまいましたが、質疑については講評でもなかなか触れませんし、指導の時にもなかなか注意される機会がなかったのだと思いますので、あえて厳しく書いておきます。もちろん、ここでのコメントは、決勝戦の選手だけでなく、すべての中高生ディベーターに向けられています。

否定側立論
否定側立論は冤罪の発生です。裁判官には有罪バイアスがあるが裁判員はきちんと見る、という典型的な内容です。裁判官が聞いたらブチ切れそうな中身であること自体はまぁ仕方ないのですが、ノンフィクション作家が言いっぱなしているだけなど、質の低い資料が散見され、あまり強い立論とは思われません。また、裁判官と裁判員の違いを具体的に示すとされる部分については、裁判員の社会経験から証言を評価したという立川の事件の話は、裁判官だとできないことだったのかよく分かりませんし(裁判官も大きな意味ではサラリーマンなのです)、袴田事件の味噌樽の話が裁判員であればなんとかなるのかもよく分かりません。

ということで、この立論については、話の筋は概ねとおっていますが、裁判官と裁判員の違いについて論じるところの根拠は必ずしも説得的でなく、実例とされる事件も唐突に出てきており論題との関連性が不明であり、あまり強固な立論ではないという印象を抱かざるを得ないところです。立論のコミュニケーションは良好だと思いますが、中身をもっと詰めてほしかったところです。

肯定側質疑
ジャッジも疑問に思っている袴田事件の例について具体的に突っ込んで聞いて行ったり、裁判員と裁判官の違いがどこにあるのかを明らかにしていく中で立川の事件の例を突っ込んでいったりと、問題意識も見えやすい、良い質疑でした。質疑のやり取りを聞いていて、袴田の例や立川の例は判定上あまり乗らないほうがよいな、ということが確認できたという意味で、ポイントを衝いて判定にも影響し得る内容です。
この試合のコメントからは少し離れますが、有罪慣れの話については、否認事件はどの程度あるのか、ということとの関係で攻撃する質疑があるのかなと思っていたら、結局シーズン通して見る機会はありませんでした。このあたり、真面目に聞くと答えられる立論者はあまりいないと思われ、チャレンジに成功すればそれでデメリットのリンクが飛びますので、もう少し骨太なやり取りをききたかったな、というのが感想です。

否定側第一反駁
デメリット1に対する反論は、最初のエビデンスは個人的には読まなくてもよかったと思いますが、写真は改善されている、という話は、一応指摘されており問題ないです。写真を見てみないとわからないということもあると思いますので切りきれていませんが、メリット2に逆用されるリスクは低い資料です。重要性への反論は趣旨不明瞭で、独自の見解を述べるだけだったと思います(そうだなと思う人には言わなくてもよかった中身だし、共感しない人の判断を動かすだけの理由はない、という意味です)。一回立論の第一反駁では、とにかく理由のついた攻撃を打ち込むべきであり、重要性にとりあえずかみつく、というのは推奨されません。

問題はメリット2です。
最初の反論である、裁判員法改正で長い事件は対象外になったという話は、デメリットを削ります。袴田事件はおそらく除外されるでしょう。他方、メリット2で出ているような少年事件の例などは1年以内に収まると思われ、改正法でも対象からは外れないでしょう。その意味で、この反駁はリスクを取りながらメリット2をほとんど削れていない、ということになります。
次は、裁判官が公判前整理手続できちんと見ているから問題ない、という反論ですが、これは否定側立論と完全に矛盾しています。裁判官をあれだけ否定しておきながら、裁判官がきちんとやるから大丈夫だという話をするというのは、議論の一貫性を全く欠いており、極めて印象が悪いです。この反論はデメリットを前提とすると全く採用の余地がないものです。
また、公判前整理手続が長いという反論は、一応形としては成立していますが、メリット2で言っているのは証拠調べの時間が短いので証拠が圧縮されるということで、証拠調べの前準備である公判前整理手続が長いというのはあまり反論になっていません。このあたりは、刑事手続についてよく分からないので仕方ないとは思います(何度も言っていますが、論題研究会をやらなかったのが悪いのです)。
実例が上訴審で覆っている、という話は、本当かどうかわかりませんが措くとして、その次の「弁護人は時間がないというが、それではなぜ検察官は有罪を立証できるのか」という反論は、資料で説明されている内容について突っ込んでしまっているもので、これも印象がよくありません。本当に聞き取れていなかったのだとすれば、それこそこの場所を質疑で聞いてもらうべきでした。

上記の次第で、メリット2については採用できる反論がほとんどなく、全く機能しない内容だったと言わざるを得ません。したがって、筆者は、冒頭に記載したとおり、この段階で少なくともメリット2が残り、デメリットより大きいと考えられたことにより、残りを聞かなくても肯定側に投票することで心証を固められる状態に至りました。率直に言って、内容面で言うと、このスピーチについてはほとんど評価できるものがないと言わざるを得ません。
しかし、この記事の主題は、否定側第一反駁を論難することではなく、それでもなお肯定側が勝ってしまう可能性が考えられてしまう理由を明らかにすることにあります。ということで続きを見ていきます。

肯定側第一反駁
デメリットに対する反論について。
裁判員が報道で汚染されるという話と、処罰感情の話は、デメリットへの攻撃として有効でしょう。裁判員が一期一会なので気合が入ってしまうとか、裁判官はそういうものがないという話があれば一番良く、そこで試合を決められるレベルだと思いますが、それは今後の課題でしょう。
続いて、裁判員が裁判官の有罪バイアスに影響されるという話。デメリットの議論や、否定側第一反駁の矛盾した反論を逆用するという意味ではよいですし、そういう手を打ってしまいたくなる気持ちもわかります(筆者もそういう議論は好きです)が、資料の中で裁判官の有罪バイアスを認めたような内容が入っているのはいただけませんし、この試合の展開でそこまで反論を重ねる必要があったかなというのは疑問です。
覚せい剤事件の処理については良好ですが、立川の事件の例についての攻撃は中身としてはあっているもののそこまで時間をかける必要があったか疑問です。袴田事件の例はうまく反論されており、これはこれでよいと思います。

しかしながら問題は、メリットの再反論をほとんどできなかったということです。否定側第一反駁が取るにたりない内容だったので無視するという選択はあり得なくはないですが、それは、デメリットが強固に立っており、そちらを叩く方が効率が良いという場面の話であって、この試合のデメリットは3分程度の内容で十分弱められていたのですから、メリットの再反論に時間を割いて、否定側の反論に理由がないことを確認して排除しておく方が、紛れがなくてよかったはずです。
個人的には、時間があと1分あったら肯定側第一反駁は何を言おうとしていたのか気になりますが、いずれにせよ、この時間配分のミスは、東海高校が敗北したであろう理由の伏線となっていきます。

否定側第二反駁
メリットの話は、当たっていない第一反駁の話を伸ばすだけで、肯定側が何も言っていないこともあり、判定上特に意味はありません。
デメリットについては、裁判員がやってみたらまじめできちんとやっているという話をして、一応返っています。ただ、報道に汚染されるという話や、ハワイ大教授の研究の話に対してきちんと返っているかは、細かく見ると疑問のあるところで、肯定側の反論次第といったところです。
しかし、その余の部分については反論になっておらずギブアップで、デメリットの成立は認めがたい感があります。

その後のまとめとされる箇所も、自分たちの見方だけを一方的に説明するもので、判定に影響するところはありません。これも厳しいコメントですが、全国大会決勝という、模範にされるべきことが想定される動画ですので敢えて書きますが、このような「まとめ」はジャッジの求めるものではありません。

というわけで、ここまで見ても、否定側に投票すべき理由は見出し難いように思われますが、それでは、なぜ判定は割れたでしょうのか。最後のスピーチを見ていきます。

肯定側第二反駁
デメリットの総括からはじまりました。
慣れがあるから有罪は分かったが、なぜ慣れがないとよいのか分からない…というまとめは、裁判官の有罪バイアスの話を前提にしてしまっているところで、認めなくてよいものを認めてしまっている問題があります。そのあとで、裁判官が裁判員を誘導するという、否定側第一反駁の矛盾ストーリーを巻き取って展開する反論を大きく展開しています。おそらくそれが、一つの敗因です。
肯定側としては、このように勝勢の試合で、相手の議論を前提にするテクニカルな反論を無理に押し出す必要はなかったはずです。気持ちはよく分かるところで、否定側の反駁の中身を利用しつつ、テクニカルにデメリットを切ろうとしているわけですが、そもそも認める必要のない否定側の筋を認めてしまっているところで、デメリットを立たせる理由を逆に作ってしまったことになります。

その後、デメリットを引き続き論じていますが、ここはたいした反論もないので、もっと簡単に触れて、再反論しそこなったメリットについて説明したほうがよかったのではないかと思います。
そのメリットの反論としては、普通の裁判と違って集中審理だから困る…という話をするだけでしたが、これも第二の敗因と考えられます。この反論は、そもそも証拠の圧縮という話の本筋からずれていますし、肯定側が出していた公判前整理手続で何とかなるという話との関係で何もフォローできていないという点で、ジャッジに誤解される余地が出てきます。つまり、公判前整理手続の話は当たっていないと判断するジャッジであればよいのですが、そうではなく、公判前整理手続の期間で十分審理されているのではないか、と「誤解」しているジャッジ(カッコ書きしているのは、別にそれはジャッジとして「誤り」ではないということを含意しています。もしかして、公判手続について知っている筆者の見方が予断を含んでしまっているというべきなのかもしれません)には、十分な反論になりません。

以上を踏まえると、この第二反駁を受けて、ジャッジとしては、例えば以下のように投票することもできてしまいます。
「デメリットの話についてはよく分からないが、裁判官に有罪推定があることは肯定側も認めるようであり、裁判員については、制度形成後はきちんとやっているという実例もあるので、一応若干は発生する。他方、メリット1は反論がなく無視できるし、メリット2は、肯定側第一反駁でほとんど反論されていないし、公判前整理手続に時間がかけられているのであれば、審理期間が足りず圧縮されるということはないのではないかということで、冤罪の問題の方が具体的に思える」

筆者として上記のような判断に納得するものではないですし、実際に否定側に入れたジャッジが上記のように考えたかどうかも定かではないですが、少なくとも、肯定側第二反駁がこのように判断されてしまう隙を与えてしまったことは確かですし、その観点からは、肯定側第二反駁は4分間黙っていた方がよかったのかもしれません。肯定側第二反駁が内容的にマイナスだったかというと(私の理解からは)必ずしもそうではないのですが、ディベートというのは難しいものです。

まとめ ~本年の高校決勝から何を学ぶか~
以上、高校決勝戦を振り返ってみました。
無礼を承知で率直なところを申し上げると、今年の高校決勝戦は、水準として高かったかというと相当程度疑問の残る試合でした。もちろん、これは提示された議論に対する評価であり、そのことをもって決勝出場の両校の選手の方々を非難する趣旨では全くないのですが、ディベート甲子園のジャッジとしては、これをゴールとすることなく、さらにレベルの高い議論に向けて、今後ますます努力されることを切に願っております。

それでもなお、この試合から、肯定的に学ぶことは多々あります。
肯定側は、試合では負けてしまいましたが、質疑の鋭さ、バランスは失したものの第一反駁の準備の綿密さと手数の多さ、第二反駁の相手の議論を踏まえた説明ぶり(裁判員が誘導される…という話は、僅差の試合では試合を決める議論になり得るでしょう)が参考になります。
否定側は、基本的なコミュニケーションスキルの高さのほか、初出場とは思われないレベルで立論の構成を整えていたり、反駁についても、当たっているかどうかは上記のとおり疑義もあるものの、一通り食らいついて試合を進めており、この点で決勝に進出しただけのことがあります。

そして、この試合から教訓として学ぶべきことは、自分たちの反論が認めてしまう「前提」の危険性や、簡単に排除できる反論を放置してしまうことの危険性といった、議論選択のリスクについてもっと敏感にならないといけないということにあります。これは筆者自身、ディベーターとして試合に出るときに頻繁に失敗するところであり、仕事の中でも悩ましいことが多々ある問題でもあります。
ディベートというものが人間を相手にする以上、その選択がどういう結果につながるのかということは、はっきりと分からないところがあります。いかによさそうに見える議論でも、その議論を出すことにリスクはないのか、その他にもっとリスクの低い選択肢はないのか、そのリスクを取ってでも議論を出すべきなのか…ということを考えていけると、より間違いのない試合ができるのだろうと思います。言うまでもなくこれはきわめてレベルの高い問題ですが、その選択ミスが分かりやすく結果に出てしまった、ある種貴重な実例として、この決勝戦を振り返って学ぶことは多いかもしれません。

といったところで、本日の記事は終了です。JDA終了後余裕があれば何か書いてみたくはありますが、今のところは未定ということで。
第20回ディベート甲子園の感想(3.即興ディベートの感想と大会総括)
最後に、ディベート甲子園第20回大会を記念して実施された、現役生選抜チームとOBOG選抜チームの即興ディベート対決(論題は「日本のすべての中学校・高校は、体育祭・文化祭を廃止すべきである。是か非か」:動画はこちら)について批評した上で、大会全体の総括的感想を書かせていただくことにします。

3.即興ディベートの感想と大会総括

即興ディベート
今年は20周年企画ということで即興ディベートの特別編、現役生対OBOGという興味深い企画が行われました。特別企画と言うと10年前の嫌な思い出がよみがえるのですが、今回は現役生も巻き込んだ試合ということで、会場も大いに盛り上がっており(筆者もハイテンションで叫んでおりました)、大変よい企画だったと思います。

とはいえ手放しで褒めても仕方ないので議論の感想を述べておくことにします。
端的に言えば、この試合は肯定側・OBOGチームの完全な敗北です。メリットはというと、そもそも文化祭や体育祭をやめて空いた時間に自主性をはぐくむような行動がされるという立証が全くないので解決性はなく、デメリットについても反論がほとんど当たっていないので残ってしまっています。ディベート的には1AR終了の時点で試合は終わっており、時光大先生のTEDばりのかっこいいスピーチも、本人が一番分かっているとは思いますが、内容だけ見ると全く評価できません。肯定側は今いる生徒のことを考えている!というのも、メリットに解決性がないのに何をかいわんや、というところですし、デメリットの話も、未来の生徒の話をしているわけですからメリットと区別されるわけではありません。こうなったらもう前ににじり出るしかないというところです。
実は地味にOBOG会の副代表だったりするので、OBOGチームのこのような敗北については大変遺憾に?思っておりますが、これは現役チームの試合ぶりが素晴らしかったことにもよるものです。デメリットは、ユーモアあふれる議論も含めてきちんと論じられており、メリットに対する反駁も、プランがかえって生徒の自主性を損ねるという要点を衝いていました。質疑のやり取りも大変ユーモラスでよかったです(これは千村さんの投げたボールがよかったということにもよります)。というわけで、今回はOBOGチームが現役生チームに一本取られたということになります。

それでは、OBOGチームはどういう議論をすべきだったでしょうか。OBOGチームとしてはいろいろなことを考慮して今回の議論を作ったと思いますが、勝つことだけを考えれば、例えば以下のような議論ができたと思います。
メリットについては、文化祭や体育祭が自主性を損なっているという分析は、せいぜいデメリットを削る反駁になるだけで、メリットの基礎づけとしては弱すぎると思われます。筆者であれば、メリットは、文化祭や体育祭を契機としたいじめを防ぐといった議論があり得るかなと思います。例えば文化祭でクラスのイベントや合唱コンテストをやったり、体育祭でクラス対抗の競技をやったりする際に、そういった活動が苦手な人がクラスのお荷物になるということでいじめられるという事例があるかもしれません。まぁ、普段の授業でもそういう機会はあるだろうということで解決性はないのかもしれませんが、学校行事として課外の時間も練習させられて苦痛が増えるということは言えるでしょう。これが筆者の原体験に根差すものであるかどうかは読者の皆様の想像に委ねますが、今回のメリットよりは残る議論だと思います。まぁ後ろ向きですが。
しかし、このメリットの真の狙いは、デメリットで「文化祭・体育祭で輝く生徒」、平たく言えば「リア充」を称揚する議論が出てくることに対するカウンターとすることにあります。今回のデメリットでも、年の一度のイベントで恋愛のチャンスといういかにもな議論が出てきておりますが、肯定側はこれを狙い撃ち、一部の生徒が文化祭や体育祭でモテている陰で少なくない数の冴えない生徒が悶々とするというターンアラウンドを展開し、メリットのインパクトに加えていくわけです。
もちろん、否定側としては、それは悪しき平等主義であって、学校教育にはいろんな文化祭や体育祭以外にもいろんなイベントや部活動があり、それぞれの場所で生徒は自分の居場所を作り、輝ける場を見つけていくのであり、そのような舞台を減らすようなことはすべきでない、と再反論することができます。そういう感じの展開になれば、票もそこそこに割れて、議論内容的にも面白くなったのではないかと思いますが、それにしても肯定側の議論がかなり後ろ向きになってしまっていることは否めず、こういう議論を回そうとするおっさんがOBOGチームに入らなかったのは大正解だったということになろうかとは思います。

他方、否定側がより肯定側の議論をこてんぱんにのすにはどうすればよかったかというと、メリットの解決性をもっと厳しく攻撃することができたと思います。この場合、肯定側の言う「自主性のある生徒」と、そうでない生徒を分けて、前者は文化祭や体育祭の機会で自主性を伸ばすわけで、そういう機会が奪われることはかえってマイナスであり、後者の生徒は現状でも自主性がないのにイベントの空き時間に有意義な活動をするとは思えない、といった形で、生徒の特性ごとに解決性がないことを丁寧に論じていくことができたはずです。
その上で、文化祭や体育祭が自主性、チームワークをはぐくむイベントであることを指摘しつつ、「イベントが強制されているので自主性を損なう」という肯定側の論法が正しければ、すべての教育活動は学校がカリキュラムを決めているので生徒にとってマイナスでありやめるべきであるということになりかねないわけであって暴論であって、(ディベートもそうですが)決められた枠の中で何をするかがポイントであり、そのための素晴らしい枠である文化祭や体育祭といったイベントをやめることはよろしくない、という形でまとめていけば、時光大先生も前に出ていくだけの余裕はなくなったかもしれません。

とまぁ、いろいろ好き勝手書きましたが、今回の試合は大変に興味深いものであり、両チームともに楽しいスピーチを見せてくれました。舞台の上で大勢の前で即興ディベートをするのは本当に難しいもので、筆者も過去に中高生(の女子)に総スカンを食らうというトラウマがあったりもしましたので、それに比べれば今回のOBOGチームは大変よいディベートをしておりました。記念ディベートなのですから、フローよりも心に残る試合をすべきということを、10年前の自分にも伝えてあげたかったところです。たぶん無理だったと思いますが。
素晴らしい試合をしてくださった現役チーム・OBOGチームの皆さま、どうもありがとうございました。願わくは、現役チームの皆様にも、いずれOBOGに加わり、未来の現役生と切磋琢磨するディベーターになっていただければと思っております。

20回大会に寄せて
今年でディベート甲子園も20回を迎えました。筆者は5~7回大会(全国は6回と7回)に出場しており、もうディベートをはじめて15年が経ったことになります。
この間のディベート甲子園の水準は、率直に言って、筆者が高校生だった時と比べて、遥かに向上していると思います。特に、基本的な議論の構成や、重要性・深刻性の重みづけに対する認識の深化(まだ不十分だとも思いますが)、そしてスピーチ技術については、過去のディベートに比べて革新的な進歩を遂げたと言ってよいでしょう。
それは、ディベート経験を積んだ指導者やジャッジが増えていることや、リサーチツールの進歩(昔は今のように簡単にネットで論文を拾ったり、資料を共有することはできませんでした。そもそもパソコンもそんなになかったですし)によるところもあると思いますが、何より、選手の皆様が頑張ってきた成果の表れだということができます。

その一方で、大会の質の向上とともに、選手がジャッジに向ける視線も年々厳しくなっているということも感じております。現在筆者は大会の運営に直接携わっているわけではありませんが、全国のディベーターが集う全国大会においては、ジャッジもそれに応えるだけのスキルを有している必要があると思いますし、せっかく全国大会までやってきたチームの皆様には、大会に出られてよかったと思ってもらえるような判定・講評ができればと思って試合を見ています。
自分自身も、まだまだ勉強しなければならないことはたくさんあると思っておりますが、これまた率直に言って、選手に対して完全に説明責任を果たせるだけのジャッジが十分にそろっているかというと、昔に比べればはるかに充実しているとはいえ、まだまだ至らない点があるのも事実だと思います。しかし、この点についても、ジャッジインターン企画や、「ジャッジをジャッジする」という趣向の大学生大会が開かれるなど、改善のための取組が多数行われています。
今大会で、もしかしたら、判定に満足できなかったディベーターも少なからずいらっしゃったかもしれませんが、もしそうであれば、是非、今後は、大会を支える側として、自分自身のような思いをするディベーターを減らすための活動に参加してもらえればと思っています。

ディベート教育功労賞受賞記念で、OBOG会代表が挨拶で述べた、一人では限界があるということ、継続は力なりということは、ディベート甲子園というイベントや、ディベートコミュニティーの発展についても言えることです。多くの人が継続的に支えあって、今年の大会で皆さまが展開してきた素晴らしい議論が形作られているのだと思います。
20回大会という節目を契機に、今一度、そのことに思いを致しつつ――というのは決して恩着せしたいということではないので念のため。なんだかんだいってOBOGが楽しんでいるのは即興ディベートでもバレてしまっているでしょう(笑)――この大会を振り返って、将来の進路を切り拓き、また、未来の新しい世代のディベーターにバトンをつないでいっていただければということを、いちジャッジとして切に願う次第です。

以上、長くなりましたが、第20回ディベート甲子園の感想でした。参加者の皆様、そして運営スタッフの皆さま、今年も素晴らしい大会をどうもありがとうございました。
第20回ディベート甲子園の感想(2.高校論題の論じ方)
引き続いて高校論題について書いていきます。今日までお休みなので連続投稿です。

2.高校論題の論じ方
今季の高校論題は、裁判員制度の廃止というもので、身近そうに見えて、刑事裁判の手続を見たことがない方には意外とイメージしにくいことも多かったのではないかと思います。高校生は裁判所に平日行って裁判員裁判を見るということもできませんので、そのあたりは上手くやれればよかったのにという気はしています。裁判所はさすがに難しいかもしれませんが(文科省後援ですし、最高裁の広報課に連絡したりすれば講座の一本くらい何とかならなかったのかなという気もします)、弁護士会に頼めば何かしら講演はしてくれたのではないでしょうか。論題研究会のようなものが東海地区以外で行われたということを聞かないので、そのあたりは残念に思います。

というわけで、最初に、試合で出てきたものの最後までイメージがつかみ切れていなかったように思われる刑事裁判手続の概念についてちょっと触れたうえで、高校論題で出てきた議論についていくつかコメントしておきます。

刑事裁判手続の解説(自白の証拠能力、公判前整理手続、司法研修所教育)
試合でよく「裁判員裁判をやめると調書裁判になって虚偽自白で冤罪が発生する」という話が出てきました。ここでいう調書裁判とは、公判廷(裁判の法廷)での供述ではなく、警察や検察の作った調書に依拠して判決を書く、ということを指すわけですが、公判廷供述と調書の違いや、調書がどうやって証拠になるかという点については、なかなかイメージしにくいのではないかと思います。
というわけで以下、このあたりをつらつらと書いていきますが、特に刑事弁護実務に根差した話でもなく(ほとんど取り扱っていないので)、その割に長くなってしまったので、読み飛ばしていただいても結構です。
ただ、高校生の皆さんには、せっかくこの論題でディベートをされたので、夏休みの間に一度裁判員裁判を見に行かれるとよいのではないかと思います。

調書と供述
調書の証拠能力については、刑事訴訟法320条以下が定めています。320条1項は「第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」と定めており、原則として調書を証拠とすることはできないとしています。
では例外はと言うと、刑事訴訟法321条1項が「被告人以外の者」の証言について調書を使える例外を定めるほか、同322条が被告人の供述について調書を使える例外を以下のように定めています。

「被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。」


自白は「被告人に不利益な事実の承認」に含まれます(「わたしがやりました」という自白のほか、被告人の有罪を認める方向につながる事実の承認もここに含まれますので、「被告人に不利益な事実の承認」は自白より広い概念です)。というわけで、但書にある「任意にされたものでない疑」があるかどうかが、調書の採用を認めるための要件となります。この「任意にされたものでない疑」は、刑事訴訟法319条1項で「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白」と例示があり、調書を取る際にこのような強制的な契機による取り調べがされていないかということが問題とされることになります。
自白調書が証拠請求された際に、被告人(弁護人)が証拠とすることに同意する場合には調書がそのまま出てきますが(刑事訴訟法326条1項)、証拠として認めない、すなわち「任意性を争う」場合には、任意性の立証ということで検察官が取調官を尋問したりするなどして自白した経緯などを説明し、その結果任意にされた自白だと認められると、被告人の自白を記載した調書が証拠として採用されます。
もちろん、被告人も、公判廷において自白を強要されたといったことを供述し、それをも踏まえて任意性の判断がされますので、自白調書が採用されるからといって、被告人の供述機会がなくなるというわけではありません。ただ、自白調書が証拠として認められる場合、それも判決の基礎とできるようになるため、有罪になる可能性が高まるということは言えます。

刑事事件を担当することがほとんどないのでここからは推測ですが、裁判員裁判で公判中心になるというのは、限られた公判の時間を自白調書の任意性立証のために使うよりは、被告人質問を普通にやればいいという考え方にあるのではないかと思います。無罪推定の原則からすれば、過去に自白していたとしても、その後被告人が供述態度を変えているのであれば、過去の自白調書を使うということではなく、公判廷で被告人に話をさせ、もし被告人がうそをついている(過去の自白が正しい)のだとすればそのことを問いただすことで有罪を立証する、というのが正しい在り方ということができるでしょう。
ただ、被告人が公判でいきなり自白を翻すなどした場合、検察官としては補充での捜査を要することになると思いますので、その際には公判を延期したりせざるを得ないでしょう。何でもかんでも被告人に有利ならいい、ということではありません。

上記とは別に、証拠とすることに同意された調書については、証拠として採用されることになります(刑事訴訟法326条1項)。通常の刑事事件では、要旨の告知といって、公判廷では調書についてはその概要だけを述べ(刑事訴訟規則第203条の2第1項に基づく)、後で裁判官が調書を読んで判断するということになりますが、裁判員裁判では、そういう読み込みの時間は取れないので、公判廷で調書を朗読する原則的な方法(刑事訴訟法305条1項は朗読を求めている。規則でこれを変えてよいのかにはそもそも疑問があります)によることになります。
裁判員裁判を見に行くと、検察官が調書を朗読している姿を聞くことができます。なお、性犯罪などで、読み上げるのに適していない箇所については、調書のここからここまでは黙読ください、ということで、裁判員の手元にある調書を読むよう話があって、朗読は省略されます。

公判前整理手続
ここまでは調書の証拠採用に至るまでの説明ですが、裁判員裁判では、その前に、公判前整理手続というものがあり、争点と証拠を整理します。これが意外と長いというのは、高校決勝戦でも資料が読まれていた通りです。
公判前整理手続は刑事訴訟法316条の2以降に規定があり、316条の5にその中身が書いてあります。要するに、証拠調べ(証拠物を見たり供述を聞いたりすること)はせず、どの証拠をどういう順番で調べるか、といった打ち合わせを行います。さらに、公判前整理手続では、当事者の予定主張・立証に関連する証拠の開示を求めることができます。東京弁護士会の特集記事を読むと、弁護人にはそれなりに好評なようです。

一部の学校が、公判前整理手続で裁判官がラフな審理を行う、ということを言っていたのですが、裁判官は公判前整理手続で証拠を読むことは基本的にはありません。ただ、証拠構造(どういう事実・証拠で有罪を立証するか)については争点整理のために把握する必要があるので、証拠の標目と立証趣旨は事前に知らされることになり、なんとなく検察官の言おうとすることはわかる、といったことにはなります。実際には、証拠を生で見てみると裁判官もびっくりで心証が全然予想と違うということは珍しくないようですが、事前に話が予想できている裁判官の方が裁判員より事件を飲み込みやすいということはそうだろうと思います。
争点の絞り込みという点については、裁判官によってはそういうこともあるのだろうと思いますが、筆者が修習中に個人的に見た公判前整理手続では、検察官に対して証拠を絞り込むよう要請する場面もあり、弁護人だけが「言いたいことが言えない」というわけでもなさそうです。

司法研修所教育
最後に、決勝戦でも出てきた、司法研修所教育のおはなし。裁判官に常識がないというのはどうかと思いますが(それを言ったら弁護士もそうなる。確かに裁判官になる人は成績優秀者で、学歴も司法試験合格者一般よりよいと思いますが、高級サラリーマン的な常識はあると思いますし、民事や他の刑事事件で記録を読む中で、伝聞とはいえいろんな話を見るので、それはそれで経験値は積まれるはずです。だいたい、どういう人間を刑事裁判における「経験豊富な裁判員」というんでしょうか。市原悦子バリの家政婦とか?)、司法研修所の刑事裁判教育において、間接事実に基づく緻密な事実認定について学習することになり、その中で、証拠から「有罪を」認定する手法を学ぶというのはそのとおりです。
実感として、二回試験(司法研修所の卒業試験)で無罪判決を書くというのは想像しがたいところで、おそらく間接事実の認定とそこからの有罪推認の論述に点数が振られているので、受験生的発想からすると、有罪を疑わせる事実をできるだけ細かく認定し、そこから有罪が推認されることを論じつつ、被告人の弁解を証拠や論理によって排斥する答案(判決理由)を書くことが期待されているのだろうと思います。
ただ、これが悪いことかというとそうではなくて、世の中の犯罪には、目撃者や直接的な証拠がある事件ばかりではなく、いろんな事実を積み重ねてはじめて犯人が分かるというものがたくさんあり、そのような犯罪をきちんと裁くためには、事実を踏まえた認定を行うための能力を養う必要があるわけです。事実が追い付かなければ当然有罪にはできないわけで、その「限界」を知る上でも、有罪を推認するための事実認定能力は重要なはずです。現に、裁判所で指導してもらった裁判官は、記録を見る限り有罪と思えてならない事件で、「この事実からはこういう可能性も考えられるのではないか」ということで、実際に(筆者はじめ修習生はみんな有罪と思っていましたが)無罪判決を書いたりもしています。

肯定側の議論
長い前置きを終えて、議論の話に入ります。シーズン終了後にこんなこと書いてもしかたない感満載ですみませんでした。かといって万が一でもここのブログを引用されたりしたら困りますからね…。
というわけで肯定側の議論について考えていきます。よく見た議論としては、裁判員の負担というものがありました。これについては、エグい写真などはイラストに置き換えるなどして工夫している、という話があり、だいたいそれで返っているようでした。しかし、この議論については、さらに翻って、このような工夫をすることは刑事裁判にとって本当によいことなのか、という問題提起もなし得るところです。すなわち、行為に対する適切な処罰という量刑判断の点からすれば、死体の写真はイラストではなく、凄惨な写真そのもので見なければならないとも考えられますし、犯行について記録された録音だって、否認事件であれば、その中に弁護人の主張を裏付ける何かが入っているのかもしれません。それらを「代替物」に置き換えるということは、程度はともかく、証拠裁判主義の観点からはマイナスに評価すべきということは言えるかと思います。
戦略的な肯定側であれば、メリット1で裁判員の負担を言っておいて、メリット2で審理の圧縮を述べ、メリット1に証拠置き換えの反駁が来たらそれをメリット2に交差適用して伸ばすということも考えられるかもしれません。
また、裁判員の負担という点では、大型否認事件での長期審理というのも問題で、裁判員の負担に加えて、そういう事件を審理できる人は限られるということで裁判員の偏りも議論できそうですが、長期事件を対象犯罪から外す法改正がありそうだということですのでこれは難しいのでしょう。

裁判員裁判で量刑がおかしくなるという議論もありました。ただ、これについても、見ていると裁判員裁判の量刑判断には理由のある一定の傾向があるようで、それはおかしなものではないという話でそれなりに落ち着いているようです。これに対して、単純に厳罰化はダメだとか言ってみても、なかなか厳しかろうという気はしております。むしろ量刑の議論をデメリットで論じているチームもあり、そちらのほうが説得的な気もしました。
量刑不当の問題を説得的に議論するためには、裁判員固有の問題を明快に指摘する必要があるでしょう。たとえば、裁判員は犯罪慣れしていないので感情が高ぶって量刑を重くしがち(?)とか、試合でも時に見かけたアスペルガー症候群に対する差別的な量刑などの問題を指摘することが考えられます。そういう議論なくして、裁判員ごとにぶれがあるとか、刑が重くなるとか言ってみても、なかなか厳しいものがあります。裁判官だって、完全にぶれがないかというとそういうこともないと思いますし…。

裁判員裁判で審理が圧縮されるという議論は、決勝の東海高校ほか、多くのチームで採用されていました。この議論についても、裁判員裁判固有に何がどういう理由で圧縮されるのかということをもっと明快に論じてほしかったように思います。また、それが結果にどう影響するのか、影響しないとしても重要だとすればそれはなぜか、といった部分についてもさらに詰める余地はあったのではないかと思います。
また、上でも少し書いてますが、審理の圧縮という話は、検察官にとってもマイナスに働きます。試合でも見たことがありますが、検察官が裁判員裁判対象事件で起訴を控える原因として、間接事実に対する裁判員の評価が厳しいということがあるようで、これは、様々な証拠から間接事実を積み上げて有罪を立証するという複雑な証拠構造の事件では、裁判員がうまく判断できないので、有罪を認定してもらえず、したがって、検察官としては有罪だと考えるものの、公判を維持できないということで起訴はしない、という事態も考えられるわけです。無論冤罪は絶対に避けねばならないわけですが、だからといって有罪とすべき者を有罪にしないのもよくないわけで、たとえばそれが覚せい剤密輸であっても、きちんと処罰しないことで覚せい剤が蔓延し、たくさんの人の人生を狂わせかねないのです。
上記観点からすると、起訴率が下がっているという、よく見る議論は、実は審理の圧縮が反映した結果だと見ることも可能です。また、否定側がよく取り上げる、覚せい剤密輸関係で無罪がよく出ているという話も、覚せい剤密輸は間接事実から故意を認定しないといけない、難しい事件なので、裁判員だと有罪にできないからではないか、と見ることができます。

上記のような議論がさしあたり考えられますが、これらの議論を通観する視点として、裁判員制度を廃止すべき、すなわち、裁判官裁判にすべきだということの理念的な根拠も挙げていただければ、なおよかったと思われるところです。職業裁判官が判断を行うというシステムが望ましいのだという大前提があって、その上でメリットが展開されていけば、より説得的な議論展開になったのではないかと思います。
これは否定側にも言えて、市民が司法に参加することの意義を論じたうえで、それがデメリットとして具体化している(あるいはメリットへの反論になる)という形が取れれば、より強い否定側の立場を構築できたはずです。

否定側の議論
否定側の議論では、決勝戦でもそうだったように、裁判官の方が誤判を防げるといった問題が主力のようでした。その理由としてはいろいろあがっておりましたが、流行の議論は、裁判官が有罪慣れしているのに対して、裁判員は無罪推定の原則に忠実だというもののようです。
有罪慣れの点について言えば、確かに裁判官が書く判決のほとんどは有罪であるものの、それは大部分が自白事件or明らかに被告人弁解に理由がない事件であり、否認事件に限れば、有罪慣れで何も考えずに無罪にする、ということはないように思います。判検交流というものもありますし、検察官への信頼というのはもしかしてあるかもしれませんが、それが有罪に直ちにつながるかは個人的に疑問です。ただ、資料レベルでは裁判官がやばいという話がよく出てくるので、試合ではそれを評価して「裁判員のほうが無罪推定に忠実」と取ることも多かったところです。
中には、無罪判決を書くと出世に響くといった議論をしているチームもあり、確かに出世に響くとなると無罪を出したがらない(が裁判員にすれば言い訳ができる?)かもしれませんが、実際にそんなことがあるのかは謎です。上訴審で取消・破棄されると評価でマイナスになる可能性があり、無罪判決は検察が必死になって控訴すると思われるので、それで結果的に取消が多めになり、評価に響くということはあるかもしれませんが、無罪判決それ自体が裁判所の評定でマイナスになるのかはよく分からないところです。統計的な分析をしてこの点を論じた論文があった気がしますが(確かRamseyer教授のもの)、内容は忘れてしまいました。

裁判員が加わったほうがよいという話をする上では、裁判官の問題点とともに、それと対比しての裁判員の優位性も同時に論じることが望ましいところです。裁判員は一回きりの判断なので新鮮で真摯に判断するという話があり、それはそれで評価し得る話であろうとは思います。正直なところ、裁判員の社会経験がどうという話は説得力を感じないところがあるのですが(決勝で出てきた証言の信用性云々の話も、質疑で突っ込まれていた通り、どういう経験が生きてどう判断されたのかよく分からない)、裁判官と裁判員との評議においては、裁判官同士であればわざわざ言語化しないような問題についても説明し、意見を交換することで、思わぬ発見がある可能性は否定できないのかもしれません。
ディベートの議論的に言えば、裁判官だけよりも裁判員がいたほうがよいのだということをきちんと示す必要があり、逆にそれが示せればデメリットは一応残りますので、裁判官のマイナス、裁判員のプラスを両方論じて、裁判員を除くよりは残しておくほうがよいということをきっちり説明する必要があるとは思います。

決勝戦の感想
決勝戦についてはチャペルで生で見たので、少しだけ感想を書いておきます(動画はこちら)。

個人的には、実際の多数意見とは異なり、少数意見である肯定側を支持するところです。
メリット2については、審理の圧縮が論じられているところ、これに対する反論の1である長期審理は裁判員裁判から除外されているという点については一部を除外しているだけですし、そもそも長期審理を裁判員裁判から除外する趣旨は審理の圧縮を防ぐためではないと思われるので、メリット2への反論になっていませんし、公判前整理手続は審理そのものではないので証拠を減らされているという話には当たっていません。もちろん、これらの指摘をまったくできなかった肯定側第一反駁にも多大な問題があることは確かです(さすがに時間配分のバランスが悪すぎです。わかっているとは思いますが…)。
デメリットは、肯定側が裁判員がより無罪推定原則に忠実だということを争わなかったのはどうかと思いますが、メリット2への反論を逆用しつつ、裁判員は裁判官に誘導されて結局同じ結果になるという反駁をしている点は有効だと思いますし、裁判員が入るとより悪い点もあるという議論もありますし、無罪推定の強い裁判員がいなくなることから冤罪が起こるということにも若干の飛躍があることに鑑みれば、メリット2を上回る問題があるとは考えられないように思われる次第です。
ただ、東海もかなり失策していることは否めず、割れ得る試合であろうと思います。初出場で強豪の東海高校その他の難敵を退け、優勝された熊本マリスト高校の皆様には敬意を表したいと思います。

この試合も含めた教訓としては、相手の議論に対応する形での反論をきちんと行うということ、そして何より、そういう筋の外れた反論をされた際に、外れていることをきちんと指摘するということです。
決勝戦でも否定側の反論は上記のとおり当たっていませんでしたし、もう一つの熱戦であった準決勝の関西創価-東海戦も、例えば、「裁判官の意識が偏っている」という東海のデメリット(決勝のマリストに似た議論)に対する関西創価の反駁で「裁判官は誤判事件で反省している」とされていたのは、ストーリー的に外れており当たっていませんでした。そういうずれが看過される試合がどうも今シーズンは多かったように思われますが、そういったところを含めて、自分たちの議論が残っている理由、相手方の反論が排斥されるべき理由をきちんと述べられるようにすることが、厳しい試合を制する一歩なのだと思います。

といったところで高校論題の感想を終えます。
最後、稿を改めて、即興ディベートの感想と、今大会の全体的な感想を記す予定です。
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