愚留米の入院日記
日当たり良好の某法科大学院既習病棟を退院した法務博士の日記。しかし内容はほとんど趣味のディベートの話
C91寄稿のお知らせ
どうもご無沙汰しております。
近時のディベート関連の報告としては、九州JDAでジャッジをしてきたところ、決勝戦が大変秀逸だったということがあります。こちらはいずれトランスクリプトがあがるとか聞いていますが(動画は諸事情で難しいかもしれないようです)、非常に水準の高い、国民投票論題の集大成と言うべき試合でした。JDAの試合については、視野が狭いとか、高速化かつ低質化しているのではないかという問題提起がなされたこともあった気がしますが、少なくとも九州JDAで見られた議論は、コミュニケーションの点でも(高速スピーチであったことを差し引いても)一般的な試合と比べればずっと分かりやすかったと思いますし、議論の水準についても、両チームの海外研究も渉猟した悪魔的なリサーチにより、学術的にも評価し得る高度なものになっていました。

そして話は変わりますが、今秋JDAに出たのに引き続き、来春のJDAも出場の方向で調整中です。出てる場合なのかという問題は常にあるのですが、断るわけにはいかない企画でしたので。論題はもうすぐ決まるところですが、面白い議論ができればと思っています。

さて、ここからが本題の告知です。
今年の12月31日、コミックマーケット91に出店するサークル「竹藪会」(3日目東U-47b)の冊子に寄稿させていただくことになりました。竹藪会というのは、私の旧職場にあった竹藪にディベーターが集合して旨いものを食べに行くイベントが発祥ということになっております。また、「タケノコ」というのは、一部のITBディベーターにとって象徴的な食べ物であり、これに敬意を表する意味もあります。

私が寄稿しているのは、某ラッパーをリスペクトした自伝的な文章「アーギュメント・ドリーム」です。普通にディベーターとしての経験を淡々と書いております。その過程で必然的に過激な内容を孕んでいく予定なのですが、残念ながら、今回の寄稿範囲である第一章は、愚留米の高校時代ということで、ほとんど刺激的な内容になっていません。時系列的には、後輩が部室で××していた話とか、関東に出てジャッジをしたときの衝撃的体験とかは言及できていないというわけです。ということで、期待していただいた方がいらしたとしたら申し訳ないのですが、第二章以降にご期待ください。

他方、その他に載る予定の記事はなかなか読み応えがありそうですので、むしろそちらをご期待ください。「一立ディベートにおけるターンとニューの処理について」というのは、まだ読んでいませんが、内容によってはここでレビューしようと思っています。
本当はそういうディベート実践/理論的も書かないといけないのだとは思いますが、今回は上の記事がそこそこ長いので時間がありませんでした。いずれ、CoDAの合宿で展開した体系的な理論講座の内容や、NADE東海支部でやった寝落ち者続出のディベート理論実践演習などを文書化する形で記事にしようかなといったことは考えています。

ということで皆様、よいお年を。
第19回JDA秋季ディベート大会を終えて
少し間が空きましたが、去る11月12日、第19回JDA秋季ディベート大会に参戦してきました。結果は3勝ポイント足らずの第3位でした。決勝に行けなかったのは残念ですが、レベルの高い参加者の中でこのような成績を獲得できたのはうれしいことです。

今回私が組んでいただいたのは、ディベート甲子園で初出場3位と素晴らしい成績を収めた筑波大学附属駒場高等学校弁論部の3人組です。とある理由により久々にJDAに参戦しようと思い声をかけてみたら快諾いただいてチームを結成した次第で、あまりおっさんがでしゃばってもなと思っていながらも、やはり選手をやっていると血が騒ぎ、予定より多く口を出してしまったところは反省しています。ただ、皆さんもご存じのとおりディベートというのは1人では勝てない競技で、私が担当した1ARと2NC以外のパートは筑駒弁論部の皆さんが立派に果たしてくれました。私が担当パートの全試合でフルマークの点数を取っていれば、彼らをJDA決勝の舞台まで連れて行ってあげられたのですが、力及ばず残念でした。彼らであればいずれ自力でJDA決勝の舞台に上がることもできると思うので、その日を楽しみにしておくことにします。

今シーズンは某所からの弾薬を引き継いだ上でプレパしていたのですが、仕事をしながらリサーチや原稿作りを行うのは予想通り相当ヘビーで、社会人ディベーターとしてもコンスタントに実績を上げている方々には改めて頭の下がる思いでした。社会人ディベーターというとA氏が思い浮かぶところですが、近時は私の後輩にあたる方々が活躍しており、日本語ディベートシーンの最先端は彼らが担っているところです。私自身は最先端に立ったことがないわけですが、ディベートの指導も含めて、世代交代の感があります。特に今季JDA大会では、決勝戦でさらに下の世代のディベーターが素晴らしいスピーチをしており、非常に頼もしく感じました。練習試合や本試合でも、優れた大学生ディベーターがたくさん出てきており、今後が大変期待されるところです。

議論の感想も少し書いておくと、ディベート甲子園高校論題とほぼ同じ論題(プランの幅は広がっている)でしたが、議論の幅や深さは、当然ではあるもののJDA大会の方が水準が高くなっており、制度の根幹に根差した議論がある程度見られたのではないかと思っております。我々の議論で言うと、Affについてはいわゆる拒否型国民投票を念頭に置きつつ(筑駒メンバーのアイディアであり、DA対策の負担が減ることもあり採用)議論を尽くさず強行採決することに対する牽制・是正機構として国民投票を用意することで決定に正統性を付与するというケースを設けました。リサーチが至らずインパクトは煮詰まりきっていないのですが、何のために国民投票を導入するのかということはある程度具体的に提示できたのではないかと思います。Negについては、少数派の権利侵害につながりやすいというDAを主軸にしていたのですが、固有性の難しさに直面しつつシーズン中に議論を調整し、国民投票制度を導入することでこれを利用して勢力を伸ばそうとする政治団体による国民投票の濫用が起こるという方向性にシフトされていきました。マイノリティ攻撃がなぜ起こるのかというメカニズムをもっと深掘りするなどできた気はしますが、限られたシーズンの中ではそれなりの議論ができていたかなと思います。その完成度をより高めたのが、決勝のNegだったのかなと思います。
質の高い議論をしていく上では、リサーチの精度も重要であり、今季の上位チームは英語文献にも果敢にチャレンジして良質なエビデンスを取っていました。私も論文だけは集めていたものの読めていなかったので活用できていないのですが、今季論題では英語文献の実証研究を積み上げていくのが有効なアプローチだったと思いますので、これは反省点です。ただ、戦い方としては、証拠資料の質を上げるだけではなく、既存の資料をいかに組み合わせるか、どうやって相手の議論を上回っていることを説明していくかということも大事で、そのあたりの議論の出し方については、シーズン後半はそこそこスピーチできていた気もします。あとは、そのあたりをどうチーム全体の議論として展開していくかという意思疎通やブリーフづくりの問題になるわけで、あと何周か練習試合をしていればそこももっと煮詰まったかもしれません。

練習試合の話になったのでもう少し書いておくと、今季改めて重要だと思ったのは、練習試合後にジャッジや相手方を交えて突っ込んだ感想戦を行うことです。JDAでは試合後の判定協議の時間が短いこともあり、講評だけでなく、あり得る議論の展開についての議論や反省などをディスカッションします。ディベート甲子園では、どうしても勝ち負けが気になってしまうことや、今後の自分たちの議論がばれてしまうのを恐れてか(ほんとこれ意味ないですからね)、一方的に話を聞いて終わりになり、質問をするとしても試合後にジャッジに一方的に…ということになってしまいますが、時間のない大会では仕方ないとはいえ、練習試合では、もっと突っ込んだ感想戦をしてみてはと思います。
実際のところ、そういう感想戦をしっかり行う方が、楽しい上に、議論の向上も早まります。今季で言えば、私のチームでは、相手のコメントを受けて議論をいろいろと補充したりしていますし、自分たちが持っているほかの議論との関係でどういう展開があり得たか、構想として考えている議論について成立の見込みがありそうか、ということを問題提起して、議論構築の参考にしています。せっかくの練習試合を最大限に活用する上では、「その試合」だけではなく、そこから派生してどういうことができるのか、ということについても話し合う方がよいです。
今季は高校生とのチーム結成にチャレンジしたわけですが、そういうことをしようと思ったのも、彼らにそういうディベート文化に触れてほしいと思ったからです。現状のディベート甲子園もレベルは昔に比べてずっと高くなっていると思いますが、そこからさらに高みを目指すにあたっては、お互いに議論を高め合い、それを通じてもっと面白い議論をしていこうという雰囲気を作っていく必要があるのではないかなと考えていたりするので、今回のコラボ?がそのような動きの端緒になればと思っています。ツイッターとかで呟いてるくらいなら練習試合で疑問をぶつけろ、ということですね。

といったところで、議論の中身を詰めた感想でなく恐縮ですが、そんなことを思った次第です。次にまた大会に出る機会があるかどうかは分からないのですが(現実的には…)、今年のディベート甲子園やJDA大会のように、熱い選手と議論があれば、また暴れる機会もあるかもしれません。その時はどうぞよろしくお願いします。

さて、最後に告知です。今年の冬コミに有志が応募して枠をGetしたことから、同人誌を出すことになりました。これまで出していたところとは別のレーベル?で、よりディベートに純化したdope な同人誌が出来上がるはずです。
私の原稿はというと、純粋なディベート理論的な記事を書いてもよいのですが、それはブログで書いた方がよいだろうということで、ここで書けないテーマでやろうと思っております。気が付いたら人生の半分以上ディベートをやっていることになり、いろいろと香ばしいこともありましたので、ディベート経験のリアルな証言をまとめた原稿を書こうと思います。長編なので一部だけの掲載になると思いますが、頑張ることにします。なお、告知の煽り文を書こうと思ったところ、それすら掲載NGな気がしたので、内容は完成版を乞うご期待ということで。
第21回ディベート甲子園の感想(2.高校論題)
前回に引き続いて、第21回ディベート甲子園の高校大会について感想を述べさせていただきます。
今年の大会は全体的に水準が高く、その中でも、準決勝のうち鎌倉学園高校vs筑波大学附属駒場高校のカードについては、非常に熱戦だったとして、詳細な感想・分析も書かれております(例えばこちらこちら。なお私は悩んで肯定かなというところですが左記のブログは両方否定側を支持。後者のブログはちょっと反駁を再構成しすぎな感もありますがまぁそれもありはありかなと)。

例年であれば決勝戦などの試合を取り上げて比較的詳細に判定などを検討しているのですが、今年は、個人的に同じ国民投票論題でJDAに出る予定であるということもあり、こういう議論をしようという目標立ても兼ねて、今大会の議論全体に対する感想といった形で、さらに水準の高い議論のためにどのようなことが期待されるのか、ということを簡単に書くことにします。

1.出した議論を最大限活用する
準決勝について紹介した上記の各ブログでも示唆されていますが、せっかくよい議論が出ていたにもかかわらず、その機能を従前に生かし切れていない場面が散見されたように思います。一番わかりやすいのは、決勝戦の肯定側が内因性で読んでいた村上のエビデンス(これは非常に良い資料)について、意思決定プロセスに問題があったという形でデメリットの固有性を切る形になっていたにもかかわらず、全く伸ばされなかったということが挙げられます。これをうまく伸ばせば肯定側は5-0で圧勝できるような構造にあったと思いますが、そうはならずに判定も割れました。
高いレベルの要求ではあることを承知の上で述べると、このような状況が生じてしまう理由は、その議論が直接あたっている議論以外のところにどういう影響を及ぼすか、ということに十分意識がいっていないから、ということになります。では、どうすれば意識が及ぶのかということですが、根本的に言えば、議論を出すという行為が、単純にフローの左側に書かれている議論のレスポンスであるということではなく、ストーリーを基礎づける材料を出すことである、という意識を持つということが重要です。たとえば、鎌学と筑駒の準決勝で、筑駒は解決性にかなりの議論をぶつけており、その中では、議論すると考えの似た人同士で話し合うことになるので意見が先鋭化してしまうとか、国民投票では間違った情報やデマにより正しい意思決定が行われないことがあるという話が展開されていたのですが、このような議論は、単に解決性に対する反論というのではなく、それに対比される形で論じられている、自分たちの固有性の議論の優位性にもつながってきます(まぁ、集団分極化は政党内でも起こるのではないかという気はしますが…。)。つまり、否定側が出した解決性に対する反論は、物事を決める際にどのようなことが起こるのか、という分析として位置づけられるべきものであって、そのような分析がされたことを踏まえて、他の論点も含めた議論の全体を再評価することができるし、また、そうすることが期待されているということになります。

2.もう一歩大きな分析を置く
今回の大会では、各チームにおいて、民意を反映することがなぜ重要なのか、間違った政策が選ばれるのがなぜだめなのか、という重要性・深刻性に係る価値の議論をよく検討していたと思います。もちろん、より深く分析してほしい場面もたくさんありましたし、重要性や深刻性の議論にマッチした事実分析が展開されていない例(例えば、鎌学-筑駒の準決勝の肯定側立論は、重要性はそれなりに深掘りされていたと思いますが、そこで問題とされているようなひどい事態が内因性で述べられていたかというと、ちょっと迫力が足りませんでした)もあるのですが、総じてよく議論していたと思います。
しかし、さらに一歩議論できた点として、例えば、「今後の日本で」どのように考えるのがよいのか、といった、論題の導入対象との関係でのより深い分析を行うという点があげられようかと思います。これは、どちらも一理ある価値対立の問題を解決し得る有効な方法なので、より研究されるべきだったところです。すなわち、肯定側が一般的に論じるような民意による意思決定や変革の必要性という価値は、慎重な合意形成や調整による落としどころの探求が重要であるという否定側の主張とトレードオフの関係にあります。そして、どちらの価値がより重要かは、普遍的に定まるものではなく、日本で今後何を決める必要があるのか、日本がどういう状況なのか、といった要素によって左右されます。そのような「今後の日本に求められるもの」という、一つ大きな次元の分析をかませた上で、その中で国民投票をどう評価すべきか、という話がされれば、重要性や深刻性に筋が通るはずです。

3.制度の違いに着目して議論する
今回の大会で少し物足りなかったのは、制度の問題をきちんととらえて語る議論が少なかったことです。これは何を言っているのかと言うと、相手方の採用する制度どういう理由でまずいのか、逆に自分たちの制度はどこが優れているのかという分析が足りなかったように思われるということです。
全然わかりやすくなっていないので具体的に述べましょう。たとえば、否定側は、二者択一で決めるといけない、という反論をよくしていたのですが、その反面としては当然、現状の議会を通じた意思決定はそうではない、という話が出てくる必要があります。二者択一で切り捨てられるものが、議会の審議ではどう反映されているのか、それはなぜなのか、結果にどう影響してくるのか、ということを丁寧に論じれば論じるだけ、それが欠如した肯定側のプランの問題点が浮かび上がるはずです。結局、メリットデメリットの比較と言うのは、この論題では、直接的意思決定と間接的意思決定の制度比較にならないといけないということです。
肯定側は、議会の意思決定では何が問題なのか、ということをきちんと論じていく必要があります。よくある議論は、選挙で争点隠しだとか、強行採決だとかいう問題なのですが、これをもう少し抽象化すると、選挙がある種の白紙委任的制度であるということに帰着され、そこから、直接意思決定を行うべき必要性が出てくることになります。また、否定側がよくあげていた官僚制の問題は、民意反映という観点からはむしろ肯定側が有利に援用すべきものであり、選挙による選択すらされていない官僚が法律を作っていることの問題点と言うのも当然指摘されるべきです(ただ、官僚はいろいろな利益団体の声を反映しており、むしろ議員立法の方がまずいのではないか、みたいな議論もあるようです)。
自分たちの制度が、どういうコンセプトに基づいており、そのコンセプトに照らして相手方の制度がどう問題なのか、といった視点で議論を整理できると、もっと見通しがよくなったのではないか、ということです。

といったことがさしあたり考えられるのですが、それにしても今年の論題は大変奥の深いもので、自分でも取り組んでみるといろいろと考えさせられること大です(ただあんまり考える時間が取れていません)。その意味で、今年の大会は十分レベルが高かったものの、まだまだ深められる点は多いところです。
その観点から1点普遍的なアドバイスをしておくと、この論題に限らず、ある程度考察を深めた後で既読の資料を読み直すと、たくさん有益な記載が出てきます。経験値がたまれば最初からそれなりに良い記載を拾えるのですが、ディベート自体の経験が浅かったり、論題をよく分かっていない初期の段階である場合、大事なことに気づけないことがままあります。今回も、自分で資料を読んでみて、なぜ今年の大会でこれが読まれなかったのか・・・ということが多々あります。おそらく、選手の皆様も、資料を読み直してみると同じような気持ちを抱くことがあるのではないかと思います。今後、煮詰まったら、これまで読んだ資料をもう一度読み直す作業をしてみるとよいことがあるかもしれません。

といったところで、例年よりだいぶ総括感の減った高校大会雑感を終わります。選手をやることになった以上、言いたいことは大会で見せないと仕方ないと思いますので、どこまでやれるかわかりませんが、何かしら面白い議論を回していければと思っております。
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